TOPコラム集TOP>第5話 あしたば本舗誕生話

あしたば本舗と言う会社があります。文字通り、あしたばを材料にした健康食品を販売している会社です。ここではあしたば本舗誕生のお話をご紹介します。

元は個人商店だったあしたば本舗を会社にしたのは門仲徹郎と言う人で、「健康の達人」と呼ばれて本を出版されています。

門仲徹郎氏が書いた「あしたば養生訓 健康の極意」からあしたば本舗誕生のお話をご紹介します。

「あしたば養生訓 健康の極意」と言う本は平成7年にハート出版から出された本です。今から16年ほど前になります。内容は、あしたばのすぐれた効果、効能、そして病気が治った体験談などが書かれています。そして、あしたば本舗誕生秘話が紹介されています。

そもそも、あしたば本舗と言うお店を始めたのは後藤迅幟(ごとう・はやし)と言う人で、医学博士、理学博士の肩書きを持っていました。

後藤博士は明治38年宮城県に生まれ、昭和3年北海道帝国大学医学部に入学します。その後樺太に渡り医師免許を取得します。そして病院の勤務医を経て50歳のときに整形外科医を開業します。

開業当初は流行ったのですが、患者のクレームが元で60歳頃に廃業し、そこからあしたばを使った健康食品の販売を始めます。後藤博士は若いときから薬草、精力剤などに造詣が深く、八丈島にマムシ酒の材料を仕入れにいってあしたばと出会ったそうです。

島の人からあしたばの優れた効能をきかされ、後藤博士はあしたばのお茶、濃縮エキス、顆粒などを開発したのです。当時後藤博士はすでに60歳を超えていました。

門仲氏の本によれば、後藤博士は非常に遊び人でもあり、女性関係もにぎやかだったそうです。後藤博士本人いわく、最も精力絶倫だったのは60歳から75歳までで、75歳で肺がんになってダメになった、そうです。

後藤博士ご自身があしたばの威力でそんな精力絶倫になれたのかどうか、それは本にも触れていません。ホントならすごいですよね。

そして、後藤博士は80歳を超えたとき、そろそろあしたば本舗の商売から隠居しようとして後継者を探します。ご自分には2人の息子さんがいたのですが、どちらも商売を引き継ぐ意思がなく、そこで門仲氏に目をつけます。

当時、門仲氏は和研ヘルスフードと言う小さな会社でサプリメントの販売をしていました。後藤博士は門仲氏に、あしたば本舗を引き継いでくれと頼みます。

その引き継ぎ条件と言うのが、退職金2000万円、従業員を引き取ること、あしたば本舗の屋号を残して法人化すること、そして後藤先生の面倒を一生みること、でした。(最後の条件がすごいですね。)

門仲氏はこの条件をのみ、あしたば本舗を引き継ぐ決心をします。これが昭和59年、11月のことです。

それから約25年。あしたば本舗は資本金6000万円、年商2億円の会社になっています。代表者のお名前が門仲氏ではありませんから代替わりしたのでしょう。25年も経てば当然ですね。

青汁の材料としても有名な明日葉(あしたば)ですが、これを世に広めるきっかけを作ったお一人が後藤博士、あしたば本舗であったことは間違いありません。ちょうど、同じ青汁の材料として有名なケールを遠藤博士が広めたように。

また、後藤博士の後を引き継いだ門仲氏のご活躍もあしたば普及に貢献されたことでしょう。

「あしたば養生訓 健康の極意」と言う本の中には、あしたばで病気が治ったと言う体験記が数多く出てきます。筆者の門仲氏は、すべては事実であり、仮に読者が疑問を持ち記事を確認したければ可能である、と前書きで宣言されています。

私も青汁に関する書物は何冊も読みましたが、ここまで宣言された本は他にありません。よほど自信があったのでしょう。

以上、あしたば本舗誕生のお話でした。

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